猫箱をつつく

07th作品の感想・考察を垂れ流しです。

なく頃にシリーズについて

考察、を謳っておきながら、私がやりたいことは、「あらゆる可能性について考えること」、思考の海に潜っていたいことですので、必ずしも真実を暴くことではないので悪しからず。

私はどちらかというと、「事実」よりも「動機」に興味がありますので、そちらの考察もしていきたいですね。

また、「キコニアのなく頃に Phase1」一周目プレイ後の考察にあたり、他の「なく頃に」シリーズとの共通点を見出すつもりはあまりありません。(多少はあるかもですが)

うみねこのなく頃に」は、「ひぐらしのなく頃に」の知識はなくても、各エピソードをきちんと思考しさえすれば解ける物語となっていました。

確かに、他の「なく頃に」シリーズとの共通点から考察することで真実に近づける可能性、より深い思考に至れる可能性はとても高いです。

しかし、他のシリーズについての知識がないと解けないなんて、「キコニアのなく頃に」から「なく頃に」シリーズに入ってきた方にはちと重すぎませんか?

そして、そのようなゲーム構築になっていないのではないかと思います。

なので、最初は純粋に、「キコニアのなく頃に Phase1」で出された情報だけで考察していきたいと思います。

 

これから書くことは考察ではありません。

「なく頃に」シリーズを通して、謎解きとは無関係ですが、めちゃくちゃ重要な「柱」について書こうと思います。

 

私は「うみねこのなく頃に」が07th作品の中で最も好きな作品です。

うみねこに心を動かされたのは理由は、大きく二つ。

1. 真実が一つであるとは限らない

2. ホワイダニット(動機)を大事にする(...心を蔑ろにするんじゃねぇっ!!)

これが、うみねこではもろに表現されていました。

うみねこの登場人物全員がこれらを理解することが出来ていたならば、きっと惨劇は起こらなかったのではないかと思います。

そして、ひぐらしのなく頃にでも、同じようなことが書かれていました。(ハマった当時まだ小学生でしたので、そこまで深く考えられていませんでした...)

1. 真実が一つであるとは限らない

うみねこでは、EP6でヱリカが悟っていましたね。

また、戦人は「この中に犯人はいねぇ、みんないい人だ」と、当初、言っていました。

しかし、ヤスからすれば、酷い人たちだったでしょう。

夏妃さんは厳しく接し、絵羽さんは蔵臼・夏妃を陥れたいがために、使用人にわざと意地悪くしていました。

見方が変われば、善人か悪人か変わってしまう。

このようなことがまだまだ他にもたくさん、うみねこにはあったと思います。

ひぐらしの中では、鬼隠し編罪滅し編が最もわかりやすい例です。

鬼隠し編。圭一視点では、レナや魅音は不可思議な、怖い言動をするようにしか見えていませんでした。

しかし、罪滅し編では、それは圭一の思い込みだった。

ここでは真実が二つあります。

圭一視点の「怖くて怪しいレナや魅音」、圭一以外の視点の「優しく気遣うレナや魅音

人がどういった心境で物事を見るかによって、その見え方は変わります。

罪滅し編で、圭一は自分が間違っていた、というように捉えています。

しかし、うみねこを読んだ私はそうは思いません。

鬼隠し編の圭一も、一つの、正しい捉え方だったと思います。

現に、レナや魅音の言い方の中には、圭一を怖がらせるような言い方をしていたものもあると思います。

レナの「嘘だッ」は強すぎましたし、魅音の「殺しておくべきだった」も過激すぎます。

『人の見え方の数だけ、真実はある。そしてそれは、どれも間違っているわけではない。』

2. ホワイダニット(動機・心)を大事にする

うみねこではウィルさんがいるので説明不要でしょう。

ひぐらしでは、動機を大切にする、というよりも「信じる心を大事にする」趣旨でした。

さて、個人的な意見ですが、竜騎士先生はこれらをとても大事にしていらっしゃるのではないかと思っています。

なので、キコニアのなく頃にでも、これらは重要なテーマになるのではないかと考えます。

1つ目の、「真実は一つであるとは限らない」

これはPhase1でもよく出てきました。特に、セシャトと藤治郎の会話。

「人は右か左かしか選べないし、それ以外を認めない」

このような趣旨の会話です。...愚かなるかな人の子よ。

2つ目の、「心を大事にする」

これはジェイデンさんとミャオの関係で見て取れました。

また、最後の鈴姫との戦闘での都雄くんがそうでしたね。

「信じられなくて何が平和の番人だ」、と。

 

これらは「なく頃に」シリーズで共通して出てくる重要な考え方であると思いますし、私はこれらによって、07th作品に心を引き付けられました。

なので、「キコニアのなく頃に」でも、これらの趣旨が、謎を解くうえで重要な、根本的に持っておくべき考え方なのではないかと、個人的に思います。

考察には関係なさそうな、藤治郎やセシャトのそういったやり取り、もしかすると動機の理解などで重要になる時が来そうです。

 

また、これらを理解できれば、日常生活がとても楽になります。

むやみに人を拒否する必要なんかありません。「そういう考え方もあるよね」というだけで良いのです。

07th作品はやはり、私の人生の手引書ですッ!