猫箱をつつく

07th作品の感想・考察を垂れ流しです。

「ひぐらしのなく頃に 卒」神楽し編 其の四 感想

※ 「ひぐらしのなく頃に 卒」、「キコニアのなく頃に」、「新世紀エヴァンゲリオン」のネタバレを含みます。

 

とうとう終わった...

新「ひぐらしのなく頃に

「キコニアのなく頃に」の匂わせがところどころにありました。

以下、「ひぐらしのなく頃に 卒 最終話」の感想です。

 

・エウアさん

めちゃくちゃいい人(人じゃないけど)だと思いました。

最後、「敵」感を出して、討たれて、物語が決着する...

まるでお手本のような終わり方ができたのは、エウアさんのおかげだと思います。

その結果、エウアさんと沙都子が紡いできたカケラは砕け散っていき、

梨花と沙都子は「作り変えられた世界」で別々に生きていくことになりました。

このオチ、どこかで見たような...

 

...そう、エヴァ。シンエヴァ、または漫画版エヴァ

「エウア」さん、名前だけあって、まるでエヴァンゲリオン初号機ですね。

エウアさんが世界を作り変えるために必要な存在だとしたら、

ひぐらし卒の作中で明らかになった「フィーアがエウアに会いたがっていた」という要素、

フィーアさんは世界を作り変えることが目的...?とか思いました。

エヴァにおけるサードインパクトによる世界の創造は、映画だろうと漫画だろうと、全て初号機パイロットの碇シンジに委ねられています。

まさか、「なく頃に」シリーズでは、世界の創造はエウアさんの巫女に委ねられる...?

「特異脊髄標本 LD○○号」は、「LD = Lambda Delta」の略で、エウアのための巫女を量産している...!?

「ラムダシリーズ、完成していたの...」

というか、エウアさんが世界を創造しまくった挙句、フェザリーヌ・アウグストゥス・アウローラになるんだろうか...?

※ ここまで全て妄想

兎に角、エウアさんがいなかったら、こんなに「綺麗な世界」、生まれなかったんだからね??

 

・圭一と魅音は熱心にひぐらし業卒を見ていた

殴り合いの末、元いた世界に帰ってきた沙都子と梨花...

魅音が運転する車の中でも二人の空気は悪く、魅音や圭一が二人の関係性を説得するシーン、

どう考えても圭一と魅音ひぐらし業卒履修者だった...!

そんな感じの発言だった!

毎週欠かさず見て、ちゃんと二人の関係性を考察した、偉い視聴者だった!

 

・別離エンド

結局、沙都子と梨花は別々の道に進むことに。

現実的にはそうするしかないよね...うん。

最終的には、魔女沙都子が人間沙都子に体を返した。

まるで、沙都子からラムダデルタが生まれるかのように...

ただ、直感的に納得し難いのが次の2点。

なぜラムダの方がベルンよりも友達が多いのかうみねこのなく頃に参照)

ひぐらし業卒では一貫して、沙都子の方が自分以外の人間と戯れる梨花に嫉妬していたのに...

(最後、梨花は沙都子に「あなたのことしか見ない」という発言をしたので、そのせいでベルンに友達がいない...?でもどうして、ラムダには友達が多いの...)

沙都子の「殺人扇風機」発言はなんだったのか(綿騙し編)

「殺人扇風機」というワードは、「うみねこのなく頃に」において、朱志香というキャラクターが、自作の劇の台本の一番最後に「Fin」ではなく「Fan」と書いてしまい、魔女ラムダデルタに大爆笑されて生まれたワード。

ラムダデルタがこのワードを相当気に入り、沙都子に言わせた可能性はあります。

ただ、沙都子からラムダデルタが生まれたのだとすると、沙都子自身が「殺人扇風機」というワードを偶然思いついて発言し、ラムダデルタはその頃のことを思い出して朱志香の間違いがツボった、ということ...?

「殺人扇風機」という珍しそうなワード、そうそう思いつくものなのか...?

可能性がないわけではないですが、やや考えづらい気が...。

沙都子にラムダデルタが乗り移っていた、というように考えるのが自然だと思っています。

 

終わり方はとてもエヴァ感が強かったし、むしろ「新世紀エヴァンゲリオン」という作品が既に存在するからこそ、許される決着だったような気がしないでもない...

それでも、私は「ひぐらしのなく頃に」でとりわけ好きなキャラクターはいませんでしたが、業卒を通して沙都子が好きになりました。(ラムダデルタのことも、もっと好きになりました。)

ひぐらし初見時、印象に残った台詞の中に、

「私の覚悟は地球よりも重い」というのがあったことを思い出しました。(田無美代子)

色々と懐かしみつつ、楽しくストーリーを追うことができたかなと思います。

 

それでは、次、また何かのなく頃に!(キコニア早くないてくれ...)